カラメル☆ダイアリー

ソシャゲ日記と1%の閃きと99%の嘘

このSNS時代に敢えて個人ブログをやる意義

ブログを開設してしまった。開設してしまったものは仕方ないので、ここにその言い訳を並べ立てようと思う。以下駄文。意義なんてねーよ

ブログを始めた動機

SNSの興隆は社会の在り方をあらゆる面で一変させたが、とりわけ顕著な変化は情報の消費形態だろう。SNSの典型的な情報表示機構はタイムラインの形式をとるが、この形式は人々を「堕落」させる性能においてあまりに傑出していた。かつて、人を堕落させる役割はテレビが担っていた。ただ眺めているだけで何らかの情報を摂取できる(あるいは、した気になれる)とは、なんど怠惰で素晴らしいことか! しかしテレビが供給する情報量は人間の脳の処理限界をはるかに下回っていたようで、ここに新たな情報媒体の付け入る隙があった。テレビの対抗馬として現れたSNSは、使用初期のごく僅かなカスタマイズによって、閲覧者を悦ばせる情報だけを的確に超高速で延々と垂れ流す。こうあっては、テレビが用済みになるのも当然だろう。人々は、この数十年間にわたって辛うじて維持してきた最後の能動的情報収集  テレビの番組表を見ること  を放棄し、タイムラインに関心を同期させるだけの受動的な感情機械と成り果てた。その意味での「堕落」である。現代における流行とはタイムラインを賑わせるという現象そのものであり、コンテンツの寿命はタイムライン上に存在する時間と同義だ。事ここに至り、もはや情報に永続性は求められていない。InstagramTikTok では投稿が一定時間で自動的に削除されるストーリー機能が人気のようだが、これはまさに永続的な情報の需要が失われたことの象徴だろう。

…とクソデカ主語で大仰に書いたが、もちろんこれは大嘘である。テレビは未だに主要なマスメディアとして世論を支配しているし、能動的情報収集が行われない世界では誰も検索エンジンなど作るまい。とはいえ、人々が情報を「タイムライン的に」消費する傾向が強まっているのは概ね事実だろう。その意味において、個人ブログは全くもって時代にそぐわない。今まさに需要を失いつつある「タイムラインに流れない、永続的な情報」そのものだ。何の力も持たない個人が情報を広めたければ、場末の個人ブログに駄文を書き連ねるよりもSNSの反響に訴えるほうが遥かに賢明であり、なればこそ炎上商法などというクソ行為が功を奏してしまうのである。実のところ、筆者も主要な発信源として Twitter を使用しており、ブログ開設後もこの運用を変えるつもりはない。

そういうわけで、このブログは情報を広めることより留めることに重きを置いた備忘録的な位置付けとなるだろう。タイムラインと共に記憶の彼方へ流れるべきではない日常や思考の足跡を、主に自分のために整理し書き留めるのだ。大袈裟に言えば、思考という財産を蓄え、ふとした時に振り返ることができるアーカイブ  それこそが、本ブログの目指す姿である。そして数日後か、あるいは数年後か、このようなブログの内容に興味を抱く奇特な読者に恵まれた暁には、瞬間的に消費される短文の集合にすぎない Twitter より遥かに多くのことを読者に伝えられるだろう。以上のような期待を込めて、ここにブログを開設したものである。

  というのが、ブログを始めた動機の3割だ。

残り7割の動機

だってさ、Twitter に過激なこと書いて炎上したら怖いじゃん。

私は幾分過激な思想の持ち主なので、その思想を Twitter に垂れ流しているとそのうち炎上して社会的な死を迎えそうだ。勘違いしてほしくないが、私は別に反社会的な思想を表明するつもりはない。ないのだが、Twitter で「勘違いしてほしくない」などと希望を抱くだけ愚かというものだ。140字制限の中で誤解の余地なく思想を記述するのは困難だし、Twitter は140字の文章すらまともに読めない文盲の巣窟なのだから。実際のところは、多少過激なことを言ったところで何の反応も得られずスルーされる可能性が 99.99% だろうが、運悪く 0.01% を引いた場合が悲惨なので危ない橋を渡らないに越したことは無い。

その点、個人ブログは良い。そもそも多くの人の目には触れないだろうし、ツイートと比べて拡散にもひと手間かかる。このひと手間というのが案外馬鹿にならなくて、炎上の発端となるような読者の衝動的な怒りを鎮静化するための時間稼ぎには十分だったりする。好きなことを好きなだけ書けるというものだ。

そのついでに、ブログの執筆が私の文章力向上に多少なりとも寄与してくれることを期待している。数千文字程度の文章を一瞬でささっと書けるようになれたら儲けものだ。ちなみに、記念すべき第一回たるこの記事は2000文字で3時間近くかかった。文盲はどいつだよ。

まとめ

要するに完全なる自己満足である。それでもこのブログに何らかの価値を見出した方が居られるならば、今後ともお付き合い頂ければ幸いである。